『タンタルス』内田百けん 

michiru72005-03-17



ネットの不便なところは門構えに月の内田百けんのけんの字が表記出来ないところですね。閒ってちょっと美しくないし。
そして10年ほど前までは旧仮名遣いの氏の作品が読めたのに、昨今はなんですか!高校の日誌に百けんの話を書いてたくらい好きだったのに、いまさら新かななんて…!!
ええ、ええ「旧漢字旧仮名に味わいを感じるファン」ですよ私は。普段の生活で触れられないものに触れたいから、わざわざ時間を割いて場所をつくって本を読んでいるのに。新潮文庫!ちくま文庫!!何に屈したんですか?


新かなと旧仮名遣いは文章が溶け出す時間が違うのに。
お燗のように温度があえばレンジで温めても良いかというと、飲んだら味わいが全く違うものがあるってことくらい分かるだろ!
エアバイクこぎながら読む用途にはとことん適してないとかさ(反省)。


ツィゴイネルワイゼン』好きだから『サラサーテの盤』かというと勿論好きですが今回は酒と飛行機の話。
女と飛行機ならダールだし、ヘリクツと飛行機だと森博嗣になるんですけど。(念の為、両方誉めてますから)


タンタルスギリシャ神話に出てくる「飢渇の亡者」。
百けん先生の場合は主に麦酒の話。くれぐれもビールじゃなく。

行文の間に未練が残って、タンタルスを書こうとするのかタンタルスが書いているのか判然としない所がある。

お酒好きなんですが、麦酒以外は殆ど飲まれない様子。
しかも自宅での晩酌をこよなく愛し、訪問先での麦酒は硝子のコップが小さく飲んだ気になれない等様々な理由で口に合わないご様子です。

不意に先方の思いつきで晩食をあてがわれては、その日一日の労苦が水泡に帰すのである。

三鞭酒(しゃんぱん)も価格によってギャソリンのようだとか、うまい酒と云う事が既に有り難くないとか。
かわいい…。


「飛行機漫筆」では

飛行機に乗って本当に羽化登仙の感興を擅にするには、おおきな飛行機の窓から覗いているのでは駄目です。小さな軽飛行機に乗って、雲の塊りの間を飛び翔り、時には地上に降らない雨のために顔を濡らす詩興をまた何時か機会があったら古東多万に書きましょう。


「羅馬飛行」

フロックコートを着ているのは)羅馬へ向かう「青年日本号」の為に電車の旗振りが持っている様な白い小旗を振って出発命令を与える為である。離陸直前までの判断は、逓信省航空官の指導に任せてあるのだから、私の役割は木偶の棒の様な事ではあるけれども、実はそうではない。
あらゆる物が私の「羅馬へ飛べ」と云う情熱によって動いているのだと思い込む事が出来た。

この全能な感覚好きです。


「飛行機と箏」

舞踊や映画が時間の上に拡がると云う点で、空間芸術の絵画よりも、時間芸術である音楽に近いと云う様な考え方からすると、飛んでいる飛行機も音楽の一種であるかも知れない。


羽田空港最初の離陸」

最初の着陸の滑走車輪を印したのは「青年日本号」である。

百けんトリビア