『アレクサンドル・ソクーロフの宇宙』ダゲレオ出版 1000円1994/08

私たちがつくっているものが、ひとつのサイズ、限定されたサイズのスクリーンで見るということを計算しているのです。また、映画の多重性ですね。多音性と言ったらいいでしょうか。それも失ってしまう。
どうか私の言うことを信じてください。
私たちがテレビで見るものは電子映像なんです。一方、スクリーンで見るのは生きた光りの像。
これには非常に大きな違いがあります。そして、人々への作用もまた異なるのです。

こういう思考と発言はほんとうに愛らしい。大好き。

モダニズムというのは、ホリゾントの現象、水平の現象なんですね。
一方、古典芸術は垂直の現象。垂直であるものはすべて重い。これは垂直そのものが自分の位置を確保するために常に闘っているからです。いつも驚異を持っているんですよね。自己のうちに倒れる驚異を常に控えているわけです。そして、ここにこそ、悪と闘う「善なるもの」があるのです。

善なるものというのは、闘いによってしか得られない。

映画監督のインタビューで好きなものは幾つかありますが、ソクーロフの見方は本当に森博嗣氏の作品の冒頭に挙げられてもおかしくないような極めたものが多くて美しいです。

今でもきっと同じです。
この方は日本人は罪がないのに皆十字架を背負っていると以前発言していて、だから昭和天皇を撮るのだろうと今回も感じたのですが、きっと撮影するということは根っこは変わってない筈。