『生きる歓び』保坂和志 2000/7(2003/9)新潮社


瀕死の子猫を救う話。
この子猫には左目がない。また右目も見えるかどうか分からないまま、終話。

筆者は2匹の猫を飼っており、猫を育てる、看病する間は自分の仕事や楽しみを放棄する事を躊躇しない。
「自分の事を何もせずに誰かのことだけをするというのは、じつは一番充実する。」確かにそうだ。

「生きている歓び」とか「生きている苦しみ」という言い方があるけれど、「生きることが歓び」なのだ。世界にあるものを「善悪」という尺度で計ることは「人間的」な発想だという考え方があって、軽々しく何でも「善悪」で分けてしまうことは相当うさん臭くて、この世界にあるものやこの世界で起きることを、「世界」の側を主体に置くかぎり簡単にいいとも悪いともうれしいとも苦しいとも言えないと思うけれど、そうではなくて、「生命」を主体に置いて考えるなら計ることは可能で、「生命」にとっては、「生きる」ことはそのまま「歓び」であり「善」なのだ。

そして目が見えないかも知れない猫は夢を見るのだろうか、と思考する。
「現実の生活をしていて、それと同時に知覚によって構成された世界を持っているかぎり、視覚がなくても、夢は見るだろう」

そして「小実昌さんのこと」の岡本太郎のくだり。

普通の人はみんな無意識のうちに、第三者の視線を織り込んで、「俺」や「私」を作っているのだけれど、岡本太郎はもっとずっと自律した「私」を作り上げていた。「無頼」にかぎらず普通の人が、自分が接する同時代や世間の視線を想定しているのに対して、岡本太郎は美術の流れとか太古のエネルギーとかを視線として想定していた。


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先日フジTVでタモリがドールと5日間過ごした記録が有り、ドールが非常に優美でした。アニメ顔よりリアルな顔のが好みです。
安藤優子の何も判ってなさというか「理解拒否」な態度にしばし唖然。マスコミが了見の狭さを晒していいのか?
"ドールが相手に何も与えない"として「私なら有難うって言いますよ」と。

自分に見返りがないことを許せない。存在するだけで、いい。充分。そんなことがなかったのでしょうか?

私でも「ドールには服を買っても、貴女には1円も使いたくないよ」と思ったので、木村さんも森田さんも、同じ想い故、優しすぎて、きっと何にも言えなかったのでしょうね。