『四季ー秋ー』森 博嗣


これは萌絵の内面の物語。自分が好きな人の関心のベクトルが自分でない人間に向くとき、それは嫉妬になる。そしてその人間が自分の及ばない長所を持っていたら。自分には何も無いと感じるだろう。
能力の有無や高低で愛情を量ってしまうのだろう。

能力の有無で愛を得る人も、愛を与える人も居るだろう。それは多くが、その評価を下す人間をとりまく人々が同じ愛情の流れで育てたから。ありていにいえば「そういう環境で育ったから」だ。

そして犀川の親は太陽のように愛を放出する人間であった。光を浴びる人間は「自分だけに放射してほしい」と願ったこともあった。
しかしそういったそぐわない(器を限定するような)想いは次第に薄れたらしい。

「人は自分が許せないときに悲しくて泣き、自分を許せたときに嬉しくて泣く」

四季は娘に愛情を注ぐ。その愛情は太陽よりも激しく高温で、傍目から見るとスピカの色のように冷たくみえるだろう。無論その中には何者も介することができない。

唯一人に注がれるとその器はまた灰になってしまうかもしれない。そして冬を迎えるのだろうか?