『黄落、その後』

市川悦子の奥さんの感覚が若いですよね。女学生のよう。
結婚して家にすぐ入った人のほうが、セクハラ三昧の社会にいるより
いつまでも初心でいられるのかも。
私がいま、結婚して舅に「隣で寝てくれ」って言われたら…
「まあ、主人も一緒で良いなら」っていうな…。絶句はしないな。
食卓で下品な謎かけなんかも…実父が下品だったので「またこういう家か」って。
(部長もいつも鍛えてくれてありがとうですか)
やはり寿命から逆算するようになったからか、今、既に
「結婚=介護」だとおもってるしなあ。
母が父方の祖父を介護してたのを見てましたが、
やはりケースは全く違いましたが、実の娘や息子は本当に痴呆の親を
ずっと否定してましたね。
十代の孫である私は「少しでも楽しく心地よい想い出を」と。
タオルやパジャマをまめに洗ったり。なんか良い孫じゃないですか。

有吉佐和子の『恍惚の人』は性的なものはなく、
ひたすらに幼児っぽい退行ですが、今はずっと多様化してますよね。
老人だからって枯れるとは限らない。
「40歳過ぎたら枯れるのがダンディズムだ!!」なんて大島弓子ばりに思ったりしてましたが。若すぎですね40歳では、と今。
まだ半分だもの。


人生で普段、抑えられてた無意識が出るんですよね、老後から死ぬ瞬間まで。
だから結局人生は誤魔化せないし、何を持ってるかでもない。
その人が、何を刻んでたかだけ。
だから善人ぶっても意味無いのです。
生活が楽になった分、人生のゴールが延びてヤなことも増えて、
人生の辛い「行」っていうんですか、行の総量はかわらないのかも。


最後に主人が作家ならさ、もうちょっと奥さんの気持ち考えろよ!
想象力のない奴だな!
高村光太郎かっ。と豊崎社長ヴァージョンで言っときます。


いや愛川氏のキャスティング秀逸。
市川悦子が訃報に走るシーンでも、カメラへの後姿をつくるのに嫌らしさを感じつつも、仕方ないかなー…。かたくなな女学生ははまってました。



そして純文学は異常愛の温床。