『疾走』

借りてあるけど、本が重くて読む気になれなかったのですが、『殺人〜』を長引かせる為に読むわ!糸井重里お薦めだし。勿体無いからゆっくり読みたい=(私の)名作。そして初めて作家、重松 清作品に挑戦してみました。なんと昨夜読んでて、思いのほかの面白さに今日朝起きたら遅刻決定だったので仕事休んで読んでしまいました(オイ)。
語りかけているような文体はてっきり










(以下ネタバレですので、未読の方はお控えなすってくだせえ)神からのものかとおもってました。ラスト付近まで疑いもせず読んでいた私はなんとピュアな読者でせう。まあ、そう装ってる文体ですがね。『火車』より遥かに心に残る作品でした。実は私、一人で岡山県倉敷市に一年住んでいたことがあり、地元の方には申し訳ないかもしれませんが、その県が嫌いなんです。一年以上居たら「わたしもう駄目になる」。空が無い東京のほうが人間として生きている自負がありんす。確かにあの場所では「ひとり」にならないと、きじるしになりやすいというか、磁場がそうなっているんですよ、ええ。もー、金魚鉢の中で番いを探すが如くまぐわいを求めるんですよ。動物にしか過ぎないというか、孤独を恐れるというか、プライドがないというか、ええ、偏見でしたら良いのですが。そこで生まれた作品ならではだなという空気です。私は人間として生まれた以上、人間として逝きたいとまだ、おもっていられる幸せものなので、この作品は久しぶりにその原点を思い出させてくれました。幼稚園から小学生まで教会に通っていたこともあり、なんとなく読みやすかったです。でも、こんな話しの分かる神父さんは居ませんでしたけど。そして、カウンセラーや人の話しを受け入れる立場の方は、哀しみや遣る瀬なさをきちんと味わった人か味わう覚悟のある人でないとつとまらないなと。吐く相手は相手の器を瞬時に見極めますからね。無論、年齢関係なく。