『恋愛芸術家』岡本敏子, 小泉すみれ マガジンハウス 


装絵が荒木経惟でブックデザインは鈴木成一
これだけでこの本の良さが充分に説明されてます。

岡本太郎は他界した際に隕石を降らせましたね。
岡本太郎の文章は力強くもあり、非常に繊細であり、美しくて、気高くて優しさに満ちていて大好きです。
作品に対峙するのにはパワーが必要なんですが、文章にはほぐされます。
昔、会社の応接間に太郎の「愛」の絵があって、あれは線の毅さが明瞭なのに官能的で、その絵を選んでいる社長のセンスが愛しかったです。
そんなパワーを持つ男性に惚れ抜いた女性の太郎、男性論。


どの頁を捲っても捲っても、そうだ!そうだ!!の連続でモスバーガーで一気に涙含みながら読んでしまいました。久し振りに真っ当なノンフィクション恋愛の話を読みましたわ。

岡本太郎記念館館長。芸術家・岡本太郎の専属秘書として世界各地を随行し、晩年までその芸術活動を支えてきた。1962年に養女として入籍。岡本太郎没後も、作品管理や著作監修、また自身の著作活動を通して、岡本太郎の残した芸術の素晴らしさを伝えるために幅広く活動している。著書『岡本太郎に乾杯』、『恋愛芸術家』など。

岡本敏子は半世紀の間、公私において芸術家・岡本太郎の活動を支え続けた。彼女は、常に社会に「ノン」を突きつけ、挑み、その姿勢を貫いた芸術家の魂を誰よりも近くで見続けてきた。


岡本敏子さんインタビュー

岡本太郎
「生まれ持っては、痛がりだしデリケートだし神経の鋭い人だけどね。馬鹿の豪傑じゃないの。不死身じゃないの。だから『岡本太郎である』っていうのを覚悟したのね。それを貫いたのよ」。

亡くなってからね、みんなが『50年ってすごいですね、いろいろ大変だったでしょ』なんて言われたけど、そんなこと私全然思わなかった。一日一日、一瞬一瞬あっという間でね。おもしろくておもしろくて、ハラハラドキドキしてね。ああどうなるんだろうって思ってね。
取材でNHKのアナウンサーの方が『愛してらしたなら、その人が危険なところに飛び込もうとしたらそれを止めようとするのが、本当じゃありませんか? 心配じゃなかったんですか?』って言うのよ。私、止めようなんて夢にも思わなかったわ。だってそれが岡本太郎さんなんですもの。


上記までは、携帯などでリンクに飛べない方への抜粋。
ここからは本の抜粋。

「自分らしさ」っていうけれど、それは、とにかくいま、この瞬間にぶつかれるものにぶつかって、ぶつかって、結果として残るもの

岡本太郎さんにピシャリと言われたの。
「可能性なんて言うな。いまないものは、先になってもないんだ!」

相手が何をやりたいのか、お互いに見合って気づかっていると、とってもかわいい関係がうまれるわね。

笑福亭鶴瓶さんと香取慎吾さんと話していた時。
「愛してるよ、って言われたことありますか?」
「ないわね」
「それでも平気だったんですか?」
「言わなきゃわからないようなら、始めなければいいのよ」

ふたりが出会って、ひたと見つめ合う瞬間。
その一瞬は永遠。
相手の本質そのものと抱き合う、抱擁無限の世界ですもの。
何を聞くことがあるの?
「わたくしは、あなたが好き!」
いま、この瞬間、確実で、大切な真実はそれだけなのよ。

相手の愛が不安なのではなく、自分の愛に自信がないからじゃないかって、わたくしは思うわね。


恋をするなら、絶対的で、無条件な恋をしたいわ。

彼のすごいところはね、まず、わたくしのような気のきかない阿呆な女の子を全面的に許して受け入れてくれていたこと。
「お前はここはいいが、ここが欠点だ」なんて一言も言わなかった。
わたくしは、岡本太郎に育てられ、のびのびと、あるがままに大きくなったのよ。

「お前はお前なんだ」って、いつでも愛をもってわたくしを突き放していた。

強烈な自我を持っている、己を貫くことにかけては、すごいとしか言いようがない、貫き通す人なのよ。
だけど、人には寛容だった。
導いたり、規制しようなんて全然しなかった。
ちょっと、皮肉っぽい、笑いを含んだ眼で見ていてくれるの。

太郎さんがね「朝起こすと、必ずにっこりといい顔で笑うんだよ。たいがいの人間には疲れていたり、不機嫌なときもあるのに、彼女はね、毎朝必ずにっこりいい顔で笑うんだよ。あれはいいなあ」って言ったんですって。
(略)
そりゃあ、笑顔にもなりますよ。
わたくしは、朝起きて、太郎さんの顔を見られることがうれしいんだもの。
「わー、太郎さんだー」って思うから。

たいがいのデートにもくっついていきましたよ。
だって、太郎さんが「いっしょにおいで」っていうんですもの。
(略)
わたくし、遊郭にもついていったことがあるのよ。

気持ちってね、必要とされているほうに流れていくのよ。
だから、わたくしの場合はもう、しょうがないわね。
必要度の強さが違うもの、太郎さんは。

「自分は宇宙の中心である」って、子どもたちが自分のほうからいのちをひらいていかなければ、人間の尊厳は成り立たない。

TV番組で母親をないがしろにする発言が出た時、太郎さんは怒って言ったわ。
「君たちは自分の母親が、女として犠牲にしてきたものがわかって言ってるのか」って。


親子であれ、「人間対人間でぶつかったことがあるのか」って言いたかったんだと思うわ。