『狂気と犯罪なぜ日本は世界一の精神病国家になったのか』

芹沢一也 講談社 狂気と犯罪 (講談社+α新書)

エキサイトブックス[第2回 精神医学は「狂気」排除のシステム形成に加担してきた――芹沢一也インタビュー其の二]ええっと、別にルックスが良いから読んだんじゃないです。本を読もうとしてたら、エキサイトに連載があったのです。
これでスーツ着てたらストライクですが、カジュアルなので。
芹沢一也公式サイトこういうボクサーいましたよね。ってどうして茶化すかな。


日本は世界最多の精神障害者の入院患者をもつ国。
人によっては、アウシュビッツ旧ソ連強制収容所と日本の精神病院を三大収容施設というほど。
その数たるや34万人。入院患者の4人に1人が精神障害者

第1章 社会から排除される「狂気」(徘徊する浮浪者を排除せよ 文明と裸体の取り締まり ほか)
第2章 「狂気」を監禁する社会(精神障害者管理は家族の責任 相馬事件というお家騒動 ほか)
第3章 法の世界における「狂気」の地位(死刑の光景 江戸時代の刑事裁判 ほか)
第4章 社会から「狂気」を狩り出す精神医学(法律の消滅を夢想する刑法学 刑罰が癒す「悪性」という病 ほか)
第5章 社会と法の世界から排除される「狂気」(「精神衛生法」の制定 精神病院ブームへの公的援助 ほか)

池田小学校事件のような出来事を契機に、あたかも精神障害者が「野放しで」あるかのようなイメージがかたちづくられていた。
だが、他方にはまったく反対の事実があった。日本には世界でもっとも多くの精神病院が存在しているということである。野放しどころではない、精神障害者は世界一の規模で閉じ込められているのだ。野放しと閉じこめ、このまったく相容れない事柄をどう考えればよいのだろうか。
そうしたとき、わたしはふたつの新聞記事を目にした。
裁判を受ける権利を与えるように訴える精神障害者自身の記事、
そして、死ぬ まで精神病院に閉じ込められていた患者を身内に持つ家族の後悔と悲嘆の念をつづった記事、である。
わたしはこのふたつの記事を読むことによって、事態を理解する鍵を手にすることができた。「狂気」は法の世界からも、社会からもともに排除されている、そうした構造が存在しているのだ。


裁判を受ける権利がないことで、精神障害者は法の世界から排除される。だが、それが人びとには野放しのように感じられる。そのため、今度は社会においては、閉じ込めろという声となって精神障害者に襲いかかるのだ。実際、歴史に起ったことは、まさにそうしたことだったのである。


思想史家として、明治時代、あるいは場合によってはそれ以前の時代から、法の世界と社会における「狂気」の処遇を、刑事司法、刑法学、精神病院、精神医学、衛生行政などの歴史を調べ上げた。この調査によって明らかになったのは、次のような事実だ。

 「狂気」は法の世界から排除されることで、犯罪と等しい存在に貶められた。なぜなら、精神障害者が裁判を免ぜられるのは、「狂気」が犯罪を引き起こしたからにほかならないし、そうであるならすべての「狂気」は犯罪の原因となりうるからだ。このような馬鹿げたロジックを正当化するのに大いに貢献したのが精神医学だ。そして、社会に生活する精神障害者たちを危険視し、精神病院に収容せねばならないと声を上げたのも精神医学だった。ここに民間に福祉の責任を転嫁した衛生行政と、経済至上主義の運営を行った精神病院とが加わることによって、世界最大規模の精神病院群が出現するにいたった。考えられないほど多くの精神障害者たちが、かくして精神病院に閉じ込められたのである。


現在はどうだろうか。そうした歴史からもはやわれわれは脱却したのか。残念ながら、答えは否である。犯罪が起こったときにだけ一瞬、「野放し」などとメディアで大騒ぎされ、巨大な精神病院群の存在はほとんど一瞥されることなく忘却のなかに沈み込む。そして、歴史的にかたちづくられた、「狂気」を排除する構造は何ら変わることはない。そう、ほとんど何も変わっていないのだ。

 わたしはこのような構造の自明性を少しでも揺るがせるために、『狂気と犯罪』を書いた。それは、精神障害者を危険視してきた歴史的ロジックを突き崩し、「狂気」を「普通 の病」にするための思想史的な試みにほかならない。


江戸時代の磔、島流しから、近代的な監獄への移行を丁寧にたどりながら、江戸時代には「人格」という考えはなく、刑罰に「犯罪者の矯正」という目的がなかったこと、江戸時代の死刑では「死の強度」のみが問題であったこと。
ひいては「犯罪者」という概念もなかったことを説明するくだり、明治と江戸の溝は非常に深いです。


内容は宮部みゆきの『レベル7』(宇都宮病院がモデル?)や島田荘司の精神病もの読んでる人にとっては分かってることなのですが、「精神衛生法」が制定されたs25年には精神病院は133院、病床は約1万8千なのが15年後のs40年には精神病院は1068院、病床は約17万3千。
こうして後の日本医師会長が「精神病院は牧畜業」ともらす環境が整っていったという。

結論としては、犯罪を行なった精神障害者も裁判を受けることが出来るようになれば「触法精神障害者」というカテゴリー自体が意味を失うことになる、現在の過剰な意味付けを失った時に「狂気」の脱犯罪化が成し遂げられるのではないかと。